原水爆禁止2014年世界大会(広島)に参加して

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原水爆禁止2014年世界大会(広島)に参加して

わかやま市民生協労働組合

副委員長”S”

2014年8月4日(月)~8月6日(水)までの3日間、和歌山県代表団の一員として参加させていただきました。

初日の出発の日、大雨の影響で交通機関が乱れ、予定の時間より一時間以上遅れての出発となりました。

関係者の尽力によりなんとか世界大会開会総会に間に合うことが出来ました。お疲れ様でした。


1日目

第一日目の開会総会では日本被団協代表委員の坪井直さん、政府代表らが「核兵器のない世界を実現するために・・・」とあいさつが有りました。

また草の根の平和行進の皆さんが壇上に上がり紹介され、会場の雰囲気が活気づきました。

さらに壇上で各地域での活動発表もされました。その中でも沖縄県の基地問題と県知事選挙について力強く訴えた女性のスピーチは印象的でした。

開会総会の参加人数は6,500人でした。

その後青少年センターに移動して和歌山県代表団だけでの被爆者体験学習として広島の波田保子さんのお話を聞くことができました。

保子さんは当時小学校3年生で山口県に集団疎開をしていました。

8月6日の日は山口でも爆音が聞こえ、もくもくと上がる黒い雲を見たそうです。

両親は広島で被爆されました。父がかなりひどい状態だった。保子さんの講話が始まると会場の外では雷が鳴り出し、室内はシンと静まりました。

両親が迎えに来て避難所生活が始まった。その後原爆スラム街に移ったそうです。

生活は厳しく保子さんも日雇い労働をして生活を支えたそうです。でも学校に行くのは楽しかったと言われていました。

保子さんは60歳から夜間高校に通い、夜間大学にも行ったそうです。

その中で保子さんは憲法の学習が印象に残っているそうです。

権利があり義務もあること。

70歳で相談員になられたそうです。

8月6日以降保子さんの人生はどれほど大変だったか胸が痛みました。

またそのような環境の中でも子供の頃の学校が楽しい、勉強したいという思いで大学まで行かれ、みんなのために相談員になられ、原爆をなくす運動に携わっていること、またみんなのために被爆者手帳の取得をお手伝いされている事を聞き、若い私たちはもっと頑張らないといけないと思いを新たにしました。

その日の夜は「お好み村」で和歌山県代表団の交流を深めました。


2日目

2日目は各自の分科会行動でした。

私は動く分科会の碑めぐりコースを選択しました。

午前中は平和公園内の碑めぐりでした。

元学校の先生の林すみ子さんが自分で画用紙に説明書きしたものを使いながらガイドしてくれました。

大変わかり易かったです。

その案内の中で印象的だったのは原爆投下のその時間に爆心地でただ一人生きておられた方が居たということを知ったことです。

その方の名前が野村栄三さんと言い、その当時の職場の地下室(現在のレストハウス)を見学することが出来ました。

正に原爆投下の下の広島を知っていた人が居たんです!!

午後からは被爆体験をされた方からの講話でした。

名前はハタタニヨシエさんという方で、小学校2年生の時に爆心地より1.5キロ離れたところで被爆されたそうです。

当時小学校2年生のよしえさんは学校の友達のゆきえさんを迎えにゆきえさんの家に寄っていたそうです。

玄関で待っていたその時、ピカッと光りその時記憶が無くなった。

約2年間、ゆきえさんにお世話になったそうです。

よしえさんは言っていました。今でも薬は8錠ほど飲んでいる。

今も川を見れば黒い身体をいっぱい思い出す、ケロイドを思い出す。

私はその当時の光景を見たならば、「正義のための戦争なんてない」と思うと。心うたれました。

少し休憩としてうたごえで「ヒロシマの有る国で」「折り鶴」「青い空は」を歌いました。

二人目の講話は被爆の実相学習でした。

広島の方で高橋さんです。

高橋さんは被爆体験をされていない方でした。

高橋さんは言いました。私の被爆の追体験を聞いてくださいと。

初め私はその言葉の意味の重要性を理解できていませんでした。

なぜピカドンと言うのかを物理的にわかりやすく説明してもらいました。

また似島で実際にあった話も悲しくなりました。

ただひとりの女医さん、西村さんのことです。

それは原爆投下後、野戦病院として使用され被災者が次から次へと運び込まれ、垂れ下がったケロイドの皮膚を麻酔薬を打ってノコギリで切って縫ったそうです。

途中で麻酔薬が無くなり、手当が出来なくなったそうです。

それでもという事で麻酔なくても手当を受けたい人の希望を取ったところ、手を上げたのは中学生から高校生の女性ばかりだったそうです。

麻酔なしで、ノコギリで切るんですよ。

想像しただけでもゾッとしました。

なぜ中学生から高校生の女性ばかりかわかりますか。

それは“どうしてももう一度お母さんに会いたいから”と言うことでした。

なんか涙が出てきました。

しかし助からなかつたそうです。

西村さんが皆さんに伝えたいことは、なんとか一生懸命命を助けたいと頑張ったが、原爆はそれを許さなかった。

だから原爆を許してはならないと。

高橋さんは私たちに訴えました。

もう一度広島・長崎で起こった事は何なのかを考え、次世代に原爆の追体験を通して引き継いでいってほしい。

そして核兵器をなくす行動を頑張って欲しいと。

追体験を引き継ぐ事の責任を感じました。


3日目

3日目は閉会総会です。

初日は大雨の影響で参加できなかつた方も居られたみたいで今日は大勢の人で会場をうめました。

7,000人だそうです。

二階堂和美さんのミニコンサートや署名のプレゼンテーションなどがありました。

現在、410万を超える「核兵器全面禁止のアピール署名」が寄せられているそうです。

残念ながら帰路の時間の関係で途中で退席しました。

最後にこの三日間を通して学んだことは、被爆者の声を聞き、被爆の実相を次世代に引き継ぐことが今生きている私たちの責任だと、また二度と繰り返さないために核兵器廃絶に向けて運動を継続する事の大切さを学びました。

地域、職場で頑張りたいと思います。本当にありがとうございました。